本当は恐ろしい端(終わり)がないこと

何でもだいたい端っこ(終わり)がある。生き物の寿命とか。生き物はすべて死ぬ。寿命のろうそくが「端」から擦り減っていくからである。
「端」は外界とのインターフェースとなっておりさまざまな影響を受け擦り減っていく。ではこの端っこ(2点)を無くしてしまおう。
寿命のろうそくの端と端をくっつけて、輪っかにしてしまう。擦り減る口がなくなったので寿命は減らなくなる。ただし、寿命以外の要因では死ぬことがある。
寿命のろうそくはその生き物を定義づける重要な情報が書かれており、外部から読み取れなければコピー(子孫)や記録も残せない。しかし、輪っかになってしまうと読み取るための入り口が存在しておらず外部から情報がわからない。表紙が特にない本を思い浮かべる。その生き物はその時点での形のまま進化することができない。進化ができない生き物は環境が激変すると一気に滅ぶ。その生き物は個体としては半永遠の命を手に入れたが、生き物の種としては、その時点で滅んだといっても過言ではない。
その不運な生き物は局所解にはまってしまって抜け出せなくなったということである。ただただ同じ繰り返しを永遠に続けるだけである。
ループしているものを傍からみるとき、情報収集できるタイミングがループ周期と同じならば、とまって見える。また、同じ円軌道をループする物体も遠くから見ても、とまって見える。その軌道円の半径を限りなく0に近づけるイメージである。
大雑把に言えば、ループに陥ることは、動かなくなることと同じように見えるということである。そもそも動かないことも周期0のループと考えることもできる。
変わらない、動かないものは果たして「生きている」といえるのだろうか?
宇宙の時間軸が輪っかになっていてある未来=ある過去になっているかもしれないと空想した。
ちょっと昔の人々は、この大地や海に端が存在するか、さもなくば永遠に新しい土地が続いていることを夢見ていた。だが、実際にはそのどちらでもなかった。西に「まっすぐ」進めばやがて東からまた同じ場所に戻ってきてしまう。地球は丸かった。自分の周りの平らで広大に見える地面はこの大きな球面のごく狭い領域にすぎなかった。
同じアナロジーで考えれば宇宙もそうであるかもしれない。「まっすぐ」同じ方向に進み続けるとやがて反対側から戻ってくるかもしれない。時間軸のほうだって、そうであるかもしれない。
もし、時間軸が、本当に輪っかであれば歴史がどんなに失敗であっても修正されることなく同じ時刻では同じ歴史が永遠に繰り返されるのである。
「世の中には終わりの恐怖だけでなく、ループの恐怖もある。」と思った。

追記:プログラムで言えば、実行時例外の恐怖だけでなく無限ループの恐怖といえばわかりやすいことに気づいた。